ふと思い出してしまった。
一緒に暮らしていた相手に、8ヶ月余り、殴る蹴るをされていたことがある。
私に対してしてくるだけなら、私はまだ防御するだけで耐えていた。
だが、ある時、酔いの勢いなのか、愛猫まで痛めつけられそうになった。
初めて、私は反撃した。
予想外の私の反撃に、相手はひっくり返って、後頭部を強くぶつけた。
その後、私は、ありえないぐらい理不尽に悪者にされた。
最初は理不尽だと思っていても、複数人で組んで連日、責められ続けると、
本当にそう思えてきてしまうから、同調圧力というのは怖いものだ。
当時は「同調圧力」という言葉や概念すら知らなかった。
ー 昔の話。もう現実には関わりのない過去。
忘れていても、ふいにフラッシュバックして、全身を怒りと恐怖が包み込むときがある。
こんな時は、脳みそが震えるような感じで、息も少し苦しくなり、動悸も感じる。
じっと過ぎ去るのを待つ。
(一休さんではないけれど)
慌てない。
慌てない。
ただ、過ぎ去るのを待つ。囚われの増幅にハマらない。
その場で、すぐに痛みを解消できると思わない。
痛みを知る前の自分に戻れる、戻りたいとも、フラットに期待しない。
期待は執着を生むから。
執着している限り、得られない。 逆もまた真なり。
呼吸を見つめて、明るい窓を見て、やり過ごす。
執着から離れた先にある安息。
泥と水。
何度も、丹念に漉していけば、段々と澄んだ水になっていく。
だからといって、澄んだ水ばかりではなく、汚い感情も出てくる。
だって、にんげんだもの、と思ってしまう。
だからといって「街が汚いから」、「世間がこうだから」、「政治が」、「国が」……。
何かのせいにしようと思えば、その影響の元は、いくらでも付けられるだろう。
だけど、そうじゃないんだよなぁ……。
キレイごとじゃなくってさ。
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