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「私は、○○だから、何を言ってもいい」とはならない。

もや

「○○だから」を置き換えるなら、例えば、 「親だから」 ・「上司(先輩)だから」・ 「経験者だから」・ 「善意だから」 ・「正論だから」 ・「被害者だから」 …… などなどだろうか。

大事なのは、論破するとか勝ち負けなどより、与える影響が相手にとって、または物事に対して、真に効果的であるという的を射ているかどうか、である。

例え、どれだけ論破して勝っても、相手がその気にならずに物事が動かず、好転しなければ不毛ではないだろうか。

相手の尊厳も無視して、何でも勝てば良いというだけでは荒涼とした世界になるばかりである。

 

そう考えると、例え、正論であったとしても、それが、効果という的を得ていない場合は、文字通り的外れなのである。

つまり、正論だから間違っているとは言えないが、正しくもない、というダブルバインドが発生してしまうことになる。

何でも、正論めいたものを振りかざせば、それで良いというわけでもない。

 

または、何かしらのエゴイスティックから出てきた言葉というケースもある。

「○○だから」、一方的に相手の尊厳や人権を踏みにじってよいということでは、同時に自分自身の心をも傷付けていて、メンタルは荒んでいく。

表面だけを見ると相手に勝っているようだが、そもそもの自分に負けている。

それは相手や物事、場に閉塞感を生み出して、本来できるはずであった成長や打開を阻害することになってしまう可能性が大きい。

つまり、マイナス効果しか生まない不毛なことになり、奪い合うだけのゼロサム・ゲームとなりかねない。

無意識に相手のエネルギーを奪い取れたとしても、決して、本心から、心の奥から心地良いなどとはならず、どこかでイライラを感じ続けるスパイラルになる。

 

憎しみからは、憎しみしか生まへんねん

 

心を寄せて積極的な関心を持って、肯定的に聴くという姿勢

 

ロングセラー書籍の『7つの習慣』には、「理解してから理解される」ということも詳しく記されている。

まず、このことを踏まえたい。

次に、相談やアドバイス以前に、大切なのは本来の「傾聴であり、この「傾聴」が、ちゃんと出来る人は意外と少ないようである。

これが「本来の傾聴は、まだまだ普及していない」と、傾聴の先生方が述べることの一つでもある。

私も傾聴者のチームを運営していて思うところがあり、悩ましいところである。

なぜなら「傾聴」とは、知れば知るほど奥が深いものである。

知らず知らず、植え付けられてきた固定観念や偏見を打破しなければ続けられない時もあるからである。

「傾聴」もどきを「傾聴」と謳っている同業他社もあるが、そんな慢心の行いにはハマりたくないものだ。

意図せず、クライアントの方から、同業他者に話をして、違和感はばかりで余計に辛くなったとお聴きすることがある。

せっかく勇気を振り絞って話そうとしたのに、嘆かわしいことと思う。

 

慢心するから、成長の重要性や必要性を甘くみてしまい、中途半端になる。

理解も、ちゃんとしないうちから適当な態度をしてしまう。

慢心は誰にも、もちろん私にも常にあるものだから、忘れずに気をつけたい。

それと同時に、的外れな助言もどきで、傷を不本意に抉られて塩を塗られてしまった方々、私もその一人でもあるが、 そのための表現活動、何が生み出せるか、何を生み出し続けるかを私は考えていきたい。

 

「○○だから、何を言ってもいい」とはならないのである。
自分が何を言っていて、それが相手、または物事に、不毛な影響を与えていないか、注意深く考えよう。
本来の「傾聴」を学んでいき、実践し続けることで開ける道は大きい。
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はくう

優しい性格の愛猫と、大阪で静かに暮らしております^^
40代・男性・バツイチ独身、本職は自営業(会社)です。
このブログは仕事は別の、私的な個人ブログです。

結構、キレイ好きですが、潔癖症というほどではありません^^;
「書く文章と、話ししている雰囲気が違う」と言われることがあります。
文章の雰囲気では、堅い?と思われやすい?みたいですね。

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