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距離と虚無 ~ 透

もや

「むやみに人に、かかずらわってはいられない」

もう、誰かに心を振り回されて悶々としたり、イライラしたり、しまいには自分を見失うなんて状態にはなりたくないと透は思った。

そう思って、もっと心配を伝えるような言葉も浮かんだが、伝えることはせずに、LINEでは「おはよう」の挨拶スタンプと、「了解」の無難なスタンプを送るまでにした。

ほどなく既読になったけれど、相手は外出中の用事のさなか、どう思っただろう?

昨日は、自分への尊厳を大切に過ごしてもらいたいと願うような気持ちで、色々とその相手の心の辛さを聴いてあげていた。

辛さの元は言葉の暴力を受けていることからだったし、聴いていると理不尽に思えてふつふつと腹立たしくもなった。

だからといって、どうせ踏み込めないし踏み込めたとしても想像するほどに大変だし、無理して軋轢が生じて足元を救われるのも、もう懲り懲りだ。

そういうことは避けたい。

 

この人と自分が軋轢が生じたことは今はまだないけれど、人を信じすぎると、どうなるかわからないところがあるのが嫌だ。

もう裏切られて、わざわざ振り回されたくない。

猫とふたりだけで静かな生活を送っていると、ときに人恋しくなって虚無感にも見舞われて、誰かを求めたくもなってしまう。

だけど当然、人を求めるということには楽しかったり幸せだったりする反面、他人と必ずしも分かり合えるわけではないというリスクが伴う。

かつてのパートナーだった人とは、その多幸感が強いほどに、ズレ出していった頃の反面ギャップには苦しめられることも少なくなかった。

元々、透は人懐っこく、人と親しくなりやすい。最近は惚れっぽいわけではないが、かつては惚れっぽさもずっとあった。

個人的に心を許してもいいかなと思ってしまうほどに、その反動が今は怖い、というか、煩わしく思えて仕方なくなる。

諦めるな、とか、チープな前向き言葉がこびりつくように纏わりつくのもうざったい。

そういうことではないんだよ。少し黙って。

 

仕事上の関係などで、一線を踏まえて接している分には全然、構わないのだが、自己一致していない人を個人的な内部に入れすぎると、そのブレやすさには辟易することもある。

汚らしい嘘や誤魔化しで人から奪い取っても当然のように、何の自省もない奴らには腹立たしくなったりもするけれど、もはや、そういう類にすらほんの少しでもかかずらわっていたくない。

争いたくない。めんどくさい。

散々なことにもなった過去を思い出す度に、今では距離を取った関わりに留めるが、このままでいいのかなとも同時に思ってしまう。

コミュニケーション手法とか、そういうレベルの問題ではなく、もっと奥深くの土台、根本的なところだ。

自己一致、自己受容のギャップが大きい人ほど、どんなドボンがあるか、予想外の斜め上もあることを思うと、自分の願望だけで、むやみに踏み込めないと思ってしまう。

そんなことを猫にご飯をあげたり、布団を干したりマメな洗濯をしたり、部屋の空気も入れ替えながら、静かな空気の中で思っていた。

あっけないぐらいに、すぐに終わる家事が一段落してから、白いソファに座って、ホットコーヒーを飲みながらタバコをふかした。

最近は、随分と本数も減ったし、アルコールに呑まれることもなくなった。

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はくう

優しい性格の愛猫と、大阪で静かに暮らしております^^
40代・男性・バツイチ独身、本職は自営業(会社)です。
このブログは仕事は別の、私的な個人ブログです。

結構、キレイ好きですが、潔癖症というほどではありません^^;
「書く文章と、話ししている雰囲気が違う」と言われることがあります。
文章の雰囲気では、堅い?と思われやすい?みたいですね。

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