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自己紹介(ぜんぜん中途)

白空 はくう

白空(はくう)のブログにお越しいただき、本当にありがとうございます。

私は、優しい性格の愛猫と、本と植物があちこちにある部屋で静かに暮らしております^^

大阪在住の40代・男性・バツイチ独身、本職は1999年より自営業(会社)です。

バツイチになってから、テレビはサイレントで流しているばかりになりました。

今のところ、はくう(白空)としては顔写真は出していないのですが、以下にツイートで頭の写真は出したことがあります(笑)

仕事は自営で、マーケティング系(広告クリエイティブなど)やメンタルケア系のことをしています。

このブログは、強いHSP(Highly Sensitive Person)度のある一人として、仕事は別の私的な個人ブログです。

ガチャガチャ、ドロドロしたものもから外れつつある今だから言えることを綴ってみたいと思い始めた時に、このブログを始めました。

その内心について少し触れているのが、以下の記事でしょうか。

青い赤 重い灰色 そして 白
私は、激しい闇の中にいたのだと思う。 愛していた存在から心に受けた傷は、致命傷になってしまった。 そ... >>
ブログを開設したことへの補足
このブログを開設してから、早くも一ヶ月近くが経とうとしているんですね。 ここでは、今まで辛すぎて書けなかっ... >>

 

下記は僭越ながら自己紹介として記しますが、ご関心のあおりの方は見ていただけましたらと幸いです。

趣味と言えるものは、適当なガーデニング、マンガを読むこと、活字の読書、書くこと、たまに人と話すことなどです。

マンガはジャンル問わず、様々なものを読んでいたり、野菜やハーブ、花を育てたり、室内は観葉植物が、ぼちぼちあったり、たまにお香を炊いたりもしています。

普段、コーヒーをよく飲みますが、コーヒーにはシナモンシュガーをかけて飲むのが好きです。

最近は出掛けることがめっきり減りましたが、出掛けたときは楽しいお酒やカラオケも大好きです^^

結構、キレイ好きですが、決して潔癖症というほどではありません^^;

「書く文章と、話ししている雰囲気が違う」と言われることがあります。

文章の雰囲気では、人によっては堅い?と思われやすい?みたいです。

Twitterでの日々の拙つぶやきなどを元に、当ブログの記事にしているものも多いです。

白空(はくう)のTwitter

 

以下のように感じていただける表現を、叙情的にしたいと考えております。

辛かったのは、私だけではないんだ

辛いと感じていた私は、おかしくなかったんだ

 

自己受容、自己肯定、灯り、平和、自己一致、自分自身との調和、内観から沸き起こる、本人ならではの方向性、自立と自由、心の解放……などのお手伝いになればと模索中です。

以下より過去の自己紹介について触れますが、過去のことはその全てを言語化しようとすると、とてもしんどくて、とてもじゃないが書ききれないものもあります。

また、何でもかんでも書けばよいかと思うと、それもまた疑問がありますので、今、書ける範囲の途中までとなっています。

 

生まれ育った北海道時代

私は北海道の北部で生まれで、人口より牛の数が多い町で18歳まで育ちました。

自然も多く、海も山も近いという環境で、飽き飽きするほど大きな畑がある町でした。

幼少時、私は知能には何の問題もないと言われながらも、自分の名前すらまともに発音できない言語「障害児」でした。

そのため、普通学級に通いながら定期的に早退して、専門の訓練期間にも6年間ほど通っていました。

そのおかげで今は、自分から言わなければ、そのような過去があったとは誰にもわからないようですが、その経過の中で受けてきた小さな町の人々からの扱いは、私の精神性に多大な影響を与えました。

その小さな田舎町で、特殊学級にも入らずに、そのような特別扱いを受けている子どもは私だけで、町の人達からは、しょうもないやっかみなどが多々あったようで、それが家庭内の空気を不穏にさせる要因にも一役買っていたようです。

飲む・打つ・買うの激しかった浮気症の実父のそれらと、私の存在も相まって、いつも不服そうな母親の姿を見て育った18年だったとも言えます。

私を直接知らなくて、どういう顔をしているかは知らなくても、私の存在だけは知っているという人が多かったようです。

そうして私と対面することがあったときには「あぁ、君があの……」と、どこか嘲笑するかのような軽視するかのような雰囲気で、何人もの大人に言われることは珍しくありませんでした。

そのような環境の中、人の表情の機微や言葉の裏にも無意識で敏感になっていったのだと思います。

私は、高機能で「軽度の自閉症スペクトラム」と診断されていますが、話せなかった時期が強かった分、言葉への特性が一気に発達したと感じています。

嫌気がさしていた高校を無理して通いきり卒業した後、専門学校への進学のために東京へ出ました。

高校三年で次の進学を考え始めた頃から、特に高校には行くのが嫌になっていましたが進学のために我慢していたという覚えが強いです。

東京時代

ライター系の専門学校に行きながら、当時の恩師にくっついて活動していった先で出逢った人々から、カルチャーショックと言えるほどの多くの影響を受けました。

専門学校は後半からサボりがちでしたので単位が危なくなりつつも、なんとか卒業し、その後、誰もが知る大手出版社に勤めましたが、そこは私が高校時代から働いてみたいと思っていた会社でした。

青田刈りの激しい時代でしたが、私は大学出でもないのに恩師の推奨だけで簡単な面談で勤められるようになったことは珍しく、自分が願う道を進みたいと思う心の大切さを感じました。

最初はとても嬉しかったのですが、私自身の性質より会社勤めが、よくよく肌に合わないことを実感することになる、初めの一歩ともなりました。

東京で暮らしている方々には恐縮ですが、私には東京の雰囲気が、肌に合っていなかったというのもあります。

山手線に乗って同乗している人たちの表情すらも、なんだか嫌でならなかった覚えがあります。

一年を過ぎたあたりで、北海道時代の親友で京都で働いているKが、私に一緒の店で働いて欲しいという誘いが、何度かありました。

当時、付き合っていた彼女が京都の大学に通っていたこともあり、京都に越すことにしました。

 

京都時代

詳しくは、きっと後日に記しますm(_ _)m

初めての飲食店勤務、それもライブハウス兼ショットバーという深夜営業のお店でした。

その後、福祉関係、知的「障害」の方の施設の職員として働いたりもしました。

島根時代

詳しくは、きっと後日に記しますm(_ _)m

島根でも福祉関係で働いたり、転職して無国籍料理店での料理人をしたりしていました。

料理人時代はチーフにまでなれたので、とてもハードながらも重要な経験となりました。

一時的に北海道に帰った頃

詳しくは、きっと後日に記しますm(_ _)m

放浪していたような流れの中で、フラッと帰ったような感じです。

簡単には書けないような内容も多い時期です。

滋賀県で働いていた頃

詳しくは、きっと後日に記しますm(_ _)m

やはり関西に戻りたいと願いつつ、当時、何もなかった私は期間工で働いたりしました。

また、京都に戻ってきた頃

詳しくは、きっと後日に記しますm(_ _)m

期間工を辞めて料理人に戻りましたが、それ以前からの流れが内部に積み重なってきていて、心身ともに壊れていった時期です。

生まれて初めて走馬灯をリアルに見たりもしました。

大阪時代

当時、大阪に越してきたのは勤め先が多く見つけられそうだ、ということもありましたが、大阪が一番、私の性に合うように感じたからです。

当初は何のツテもなく情報誌で、寮のある飲食店を探して、そこで働きました。

老舗の洋食屋さんでしたが、洋食屋で働いたのは初めてでしたのでハードながらもおもしろい経験となりました。

結果として今となっては、実家にいた頃よりも長期に、もっとも長く暮らしている土地になり、生まれて初めての起業をした土地にもなりました。

1999年に起業しましたが、おかげさまで勤め人としての年数を超えて、起業家として様々な学びも重ねてこれました。

その間、起業とは別として個人的には「統合失調症」や「躁うつ」等々と診断された方と、また、その友人たちとも一年ほど深く関わったことがあります。

(「」を付けるのは強調する意味ではなく、あくまで医学用語であり自分の言葉ではなく便宜的に使っているという意味で用いています)。

とても感性が豊かな人で楽しいことも沢山ありましたが、当時は共依存関係どっぷりとなり、様々な問題や事件も発生した過去がありました。

短い期間でしたが、これはこれで生涯、忘れようのない経験です。

その後、婚活サイトで出逢った人と3年ほど付き合って、妊活も求められて結婚する運びにまでなりました。

数え切れないぐらいの沢山の思い出があります。

 

妊活・結婚、その後の離婚

詳しくは、きっと後日に記しますm(_ _)m

2016年9月に私は家庭を失い、それからかなりの浮き沈みを経ました。

時が経つのは驚くほど早いものだと感じます。

今は一人でもフラットな精神状態を保ちやすくなるまでに、なんとか辿り着いています。

 

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