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「スペック」・「物件」・「手札」な婚活

もや

◇ 熱心な婚活女子アカウントを見かけて

 

結婚指輪の写真

何気なくTwitterを見ていたら、ある人のリツイートから婚活女子系のアカウントが、ふと目についた。

そのリツイートされたアカウントの人は私は初めて見る人であった。

ハンドルネームに「@婚活」がついており、ツイートを見てみると、どうやら婚活ブログもしているらしい。

 

どんなものかな~とブログを見てみると、なかなか熱心に創られていて、デザイン構成もキレイで見やすく、感性を感じた。

歯に衣着せぬ文面も分かりやすく、他の婚活女子さんに人気らしく、ファンもたくさんいるようだ。

その人のTwitterでのフォロワーさんも婚活女子の人がたくさん居て、ハンドルネームの後に「@婚活」と付いているのが目立つ。

こんなに沢山の婚活女子アカウントがあるのかと知った。

それらのブログやTwitterアカウントを見ていると、目についてしまうキーワードで「スペック」・「物件」・「手札」などがある。

まるで、何かの機器や不動産、ゲームや取引のキーワードのようだが、そのココロは・・・

 

「スペック」は、ターゲットの仕事や収入を始め、顔や身長・体格、服装などの外見、接し方・発言のセンスなどを言うらしく、それらが好みにマッチする属性だと良「物件」となるようだ。

例えば、使い方としては・・・

さてさて、今回の物件のスペックは~

・・・ということのようだ。

 

まだ、こういう言葉を使っている人がたくさんいるんだなぁ・・・と知ったが、たしかに生きていくためには無条件というわけには行かないのも現実で、現実をよく見てという意識とも言える。

それらの「物件」とのメールやLINEなどでやり取りをしている数は、人数ではなく「手札」の数と呼んでいる。

これは全く知らなくて、へぇ、そうなんだ、「~人」ではなく「手札」なんだ、と思った。

 

「手札」が切れると・・・

私、手札ない! ヤバイ!

このような投稿もあった。うん「ヤバイ」んだね。

キャバクラに勤めている女性同士の内輪の間で、顧客のことを「口座」と呼んでいたりするが似たような感覚だろうか。

だが、キャバクラで働いている人は仕事で、婚活女子はプライベートである。

 

婚活は、人生を賭けた一大プロジェクト!

なるほど・・・。たしかに結婚は、人生を大きく左右する最たるものと言えるだろう。

これらのキーワードで選別されて、お眼鏡にかなって優越感を感じる男性もいるだろうし、嫌な気持ちになる男性もいるんだろうが、選択の自由であり、一大プロジェクトだからということだろうか。

とっても分かりやすくて、子どものように無邪気?とも言える。

(・・・ 子どもの無邪気さは、時にザンコクなこともあるけどね)。

 

まぁ・・・見ていて不快さを感じられる人は

嫌なら関わらなければいい

と思う。

 

これらの言葉を発しているご本人たちからすると、嫌な気持ちになる人はそもそも対象ではなく、「無駄」ということで割り切った世界観と言える。

 

「無駄」と言えちゃうのが

すごいなぁ・・・

 

こう思えてしまう人も少なくないような気がするが、どうやら、その界隈では、それで嫌な気持ちになる人から、何を言われようと鼻で笑ったり蔑んでしまえる対象となるようである。

見ていると、ピュ~、カラカラと寒い風が吹いてくるような感覚を受ける。

私としては違和感を拭い去れないが、これを「サバサバ」しているというのだろうか?

 

 

うまくいくパートナーシップに思う

表面に出ていなくても感じ取られるもの

 

仮に、彼女らが求める良「物件」の男性に遭遇できて、うまく出逢いのチャンスをゲットできたとしても、選別するような視点にいやらしさを感じてしまう相手は、きっと少なくないように思える。

どことなくエゲツないなぁと感じられて引かれてしまうのではないだろうか、ということである。

良「物件」の人だからひがみも妬みもないわけだが、良「物件」になる生き方をしてきたからこそ観えるものもあり、そんな品のないのはいらない、と捉えるのは私の友人には多い。

婚活女子アカウントは匿名で投稿しているから、誰が本人なのかは分からないし、もしTwitterやブログを見た人に出逢ったとしても、バレなければ良いと思っているのかはわからない。

しかし、普段から日常茶飯事にそのような視点で投稿を続け、フォロワーさんたちと交流を続けているうちに、打算カラーがにじみ出るようになってしまうとは思わないのだろうか。

思わない、または思われても構わないから出来るとも推測できるかもしれないが、その醸し出す臭いは本人が思う以上に、モヤモヤとなってわかる相手には感じ取られる。

それは、まるでヘビースモーカーの人の身体に、タバコの臭いがどことなく染み付いているかのように・・・。

 

ラットレースのようにはなりたくない

 

結果、せっかくのご縁もうまく育てられずオシマイとなり、またまた「私にとって都合の良い物件」探しに奔走するラットレースを作り出しているかのように見えて、見かけただけでもの哀しくなった。

 

「ラットレース」とは、回し車の中で、いつまでもクルクルと回っているネズミなどの小動物の姿を例えたのが語源。
小動物のように目先の反射だけでスパイラルにならないように、という意味が含まれていると言える。

 

私はバツイチ独身で、婚活女子さんが大好きな婚活サイトにも登録はしているが、最近は一生懸命に行動しているわけではない。

登録時よりプロフィールなどは、きっちりとさせてあるし、たまに改訂もするが、実際にアクションを起こすことは少ない。

いつまでも一人で良いとは思っていないが、婚活サイトでは、だんだんとその気がなくなってきたというのが、正直なところである。

ログインすると、たくさんの婚活・再婚活女子さんのプロフィールを垣間見ることができるが、惹かれることが、かなり少ないのは、私の視点ばかりの問題だろうか。

外見ばかりがどうこうではなく、プロフィールに書いてあることや書き方に、なんとなく、ため息が出そうで、申し訳ないが脳内でそっとミュートしてしまうのである。

どちらかというと再婚活系のプロフィールに、その傾向を感じてしまうような・・・。

このことは後述の内容でも、少し明らかになるのだった。

 

 

そういえば元妻も婚活サイトから知り合ったのが、きっかけだったが、その頃はそんなことはあまり感じずに動いていた。

まだ私自身、離婚経験もなく初婚だったし、いくらか若かったからかな?

色々あり離婚してしばらく経ってからも、婚活サイトを通じて、何人かの人とやり取りを続けたことがあるし、それぞれ別々の時期に付き合うことにもなったことはある。

(二股をかけたことはない)。

昔から私は、最初からスペックを測るかのように根掘り葉掘り訊いてくる人と付き合うことはない。

人によっては、まだまだ信頼関係もないのに、当然のようにコチラのことばかりズケズケと一方的に訊いてきて、まるで興信所かと驚いたことがある。

そうではない人と心ある会話が続けられた先で、嬉しくお付き合いさせてもらうことはあったが、いずれも最終的には残念ながら続ける気にならなかった背景も、複数ある。

こう書くと、元妻の人への未練が、と思う人も出てきそうだが、それはなくて「打算」で見られているという言葉が脳裏をかすめることが、早期より粘り強く感じられたからだった。

後述するが、スペックなどへの打算ではなくても、心の打算というのもあるのだと知った気がする。

この心の打算は、比較的、初婚よりも再婚活系の場合に確率があり得そうな・・・気がする。

統計があるわけでもないだろうし、人によるだろうし、確かかどうかはわからない。

 

「打算」というのは相手を尊重することよりも、自らの思惑を優先させることで、結婚して平和に生きていくための計算は必要なのは言うまでもない。

 

やっぱり、優先したいと思うのは?

 

私は本業で小さな会社の社長ではあるが、社長になった時期は「打算」で寄ってくる人が多かった体験から、しまいにそれらが浅はかで嫌になった思いがある。

最初はもてはやされるのが嬉しくて調子にも乗ったが、それは、スグに飽きたし嫌になった。

「私」という人間を見ているのではなく「肩書き」や「立場」を見ているのは仕事なら考えられなくもないかもしれないが、プライベートで、そればかりが前面に出るのは違うと思える。

今は「社長、社長」と言われて、よいしょされるのは大嫌いであるし、関係者にも私のことを肩書きで呼ばせることはないようにしている。

仕事の関係でも普通に「さん付け」で呼んでもらっているし、私自身、大体の取引先とも、そのようにしている。

それに仕事上でもうまく行くパートナーシップは、打算などではなく、お互いの人間性や考え方から感じられる本質を踏まえようとしたところにある、と感じてきた。

私の友人の起業家・企業家の人たちとも、それなりにコミュニケーションを重ねてきて、その中では士業グループとの交流も多く、いわばエリートの人たちもそれなりに居た。

強い実績や信用力を持つ人も少なくないが、私の周りでは同様に打算先行を嫌う人が多い。

もちろん、何の計算もしないわけではないが、それが先行するわけではなく、人を観るし、そのような人のほうが、長期的に事業も発展している現実がある。

逆に、目先の利益に走りがちな人ほど、やはり廃業の憂き目に遭うのだな、ということを、もうすぐ20年ほどの起業家ライフの中で教えられてきた。

つまり、人生には打算や計算が必要なときもあるし、それがいけないとは思わないが、そればかりが最優先されるのは好まれない、ということである。

生きていくのには条件が伴うとはしても、目先の利益ばかり追い求めるあまり、ラットレースに陥らないように気をつけたいものである。

 

目先の観えるものばかり重視して優先される相手と結婚して、もし、何か万が一のことがあったら、切り捨てられるのではないか、という不安や恐怖は持ちたくないものだ。

 

心 ハート キー

 

「前の人で傷つけられたことの埋め合わせ」を求められるのは

 

 

過去にお別れした哀しいケースだけど、他にも婚活サイトを通じて遭遇して困ったのが「前の人で傷つけられたことの埋め合わせ」を根強く求められていると感じたことだった。

私は傾聴の仕事もしている習慣で、スグに聴き役にまわることも出来るので、ついつい、受け止めてじっくり聴いてしまうクセがある。

そうして聴き続けていると、どこまでも際限がなく「前の人で傷つけられたことの埋め合わせ」を求められていることが、ありありと感じられたりすることもあった。

それはつい、思ってしまいやすいことなのかもしれないし、程度加減によるとも思う。

新しい出逢いから、楽しみながら自然と昇華されていくことは大いにあるから、埋め合わせを求めること自体が良くないとは思わない。

 

しかし、「前の人で傷つけられたことの埋め合わせ」の心を、あまりに出しすぎると、強い哀しみや心の痛みゆえの怨念のようなドロドロしたものが含まれている場合が少なくない。

「前の人」とのことでの傷や痛みは出来る限り配慮しても、私は、その「前の人」というのはまったく知らない人。

自分に対するものではなかったとしても、誰かに対する恨みつらみをコンコンと聴かされ続けると、相手は彼氏としてどう感じられるか、冷静になって考えてみると分かるかもしれない。

しまいに「一緒に恨みを晴らして欲しい」とまで言われるんじゃないか、と巻き込まれそうな怖さを感じたこともある。

そこまで行ってしまうと、望んでもいなかった警戒心が芽生えてしまうから、程度加減なんだよね。

話すことは離すことを意識して、心を解放させるために話すのなら意味があるけれど、かえって、ネガティブ感情に呑まれ続けるなら一考の余地があるのだろう。

 

自らの心の痛みは、自らの学びと成長でクリアすることを優先していくことで、他者に埋め合わせを求めても、うまくいかないことだと痛感した時期があり、今でもそう思っているよ。

私自身に思うのは「前の人」と付き合ったり結婚したのは自分自身であり、望んで引き寄せたのも自分自身に他ならないという意識を、強く持ち考え続けていきたいと思う。

今、流行りで賛否両論の「自己責任」ということか。

誰かにどうにかしてもらおうという他力本願では、いつまでも負のスパイラルだという気づいても、それを見つめ続ける自力思考は、ハッキリ言って辛さが伴うプロセスだが、逃げ道はあるようでないのではないだろうか。

誰も、自分にウソは付けないのだから仕方ない、ということではないだろうか。

心の奥で薄々感じていることを、どれだけ正当化して論理武装するかのように、それっぽく上手に語ろうと、自分の心の奥からは逃げられない。

 

常に、「自分」とは一緒で、どこまでも付いて回るもんね。

 

ハラハラな関わり

 

もし、自分から逃げ続けていると、それを埋めてくれない他人を責めたくなる心理が働く。

なぜ、埋めてくれないの?

私は、痛みや傷を持っているんだよ!

それを全て埋めてくれるのが、あなたの役目だよ

 

ある程度は求められて嬉しいかもしれないが、限度を超えると辛いことになってしまう。

早く甘やかして

私のこと、好きなんでしょ!

ただ、無条件に受け止め続けてね

いつ、どんなときでも・・・

 

 

共依存関係の進行によるのだろうが、望みが叶わないとなると、ちょっとしたことでも過剰反応となる場合がある。

しまいには何かにつけて「言葉の暴力」をしているなどと言われて、まるで圧力をかけられているかのようになったことも。

他意はなく穏やかに普通に話していたはずが、何かにつけて「言葉の暴力」などとマウントされたら、ハラハラな関わりとなってしまう。

何も言うのも怖くなって、そこからの気づきも関係性の成長もなくなっていく・・・。

傷や弱さを武器のように逆手にとって、何かにつけてマウントしてくる関係では、うまくいくわけがないのは読者の方も容易に想像がつくだろうか。

会話からの相互理解という、キャチボールが出来なくなっていく独り善がりが支配したがる寒い世界で、ただ都合よく甘やかしてくれていたら良い、という一方通行のドッジボールになってしまう。

 

 

ここまで来ると哀しいことに、もはや「心の打算」ではないだろうか。

そうして、自らの枠に相手をどんどんと当てはめていって窮屈極まりなくしてしまうと、どうしても楽しくなくなってくる。

はめていくほうも楽しくなくなってきているのは感じているものの、それだけでは見直し・改善は出来ず、ますます枠にはめようとしてしまうスパイラル。

それが意識的であれ、無意識的であれ、そこから与えられるストレスは、私には、それはそれは凄まじかった。

だからといって、何か指摘を言ったとしても・・・

 

私には、その要素はない

(私は悪くない)

と言われて逆効果

私は悪くないのに

それこそ、言葉の暴力に他ならないよ

なんでやね~ん

そうして何も指摘せずオブラートに包みまくると、ますます増長されて、ため息混じりの嫌な時間が続くという負担に変わってしまったが、このようなものを巷では「フェミ攻撃」とでも言うのだろうか?

マウントする側の悪気がある無しは人によって様々だろうが、巻き込まれてしまっているのは女性に限らず、男性でも多いのではないだろうか?

どうしようもなくなって男性から別れを切り出されたものなら、それはいかにも悲劇かのように、すさまじい言葉の圧力をかけられるという、思い出すだけで強ストレスである。

 

私は悪くないのに、なぜ、突き放すの?!

突き放される怖さが、いつもある。

前の人もそうだった。

(埋め合わせてくれるよね)

 

こう言われると、まるで鬼か悪魔かのように感じられてしまって、グサグサと・・・。

刺さるように言われてグラグラしてしまっても、強い違和感を抑えたまま、ただ相手に合わせ続けるかのように付き合うことは、支配されているかのようで苦痛でしかない。

それでも苦痛を強いるのは暴力ではないか、とは言いづらいし分かってもらえない感が強い。

もし口にしたものなら、何倍もの攻撃になってカウンターされることは目に見えている。

しまいに、何も言えなくなってしまうが、これは抑圧されていることそのもの・・・。

繋がっていても、二人のためにはならないのは、もう明らかすぎるほど。

もう離れるしかない、と、強いストレスの中で決意した時期がある。

このケースは、とある婚活サイトからの出逢い間もなくのものであり、私からアプローチしたのではなく、有り難くもマッチングを求められたケースに応じた先でのことだった。

 

アダルト・チルドレン同士

 

気をつけていたはずなのに、だんだんと共依存になってしまったのは、どちらか一方だけの理由ではなく、双方に要因があると考えられる。

例えば、過剰に優しくする甘やかし行為も、共依存の一つである。

私は仕事上、心理カウンセラーの人たちとの交流があるが、カウンセラー視点から言うと「アダルト・チルドレン同士の結婚は、うまくいかない」という言葉を思い出す。

誤解されないように補足するが、必ずしも、アダルト・チルドレン同士だと行けないという、絶対的な端的な意味ではない。

誰しも、何かしらの傷やトラウマを持っていることは少なくないが、それらを解消・昇華していくのは自らの認知や認識だと言うことである。

その方向に持っていかずに、他者依存に走るケースではうまくいかないという意味である。

 

ラットレースに陥らないように

 

私の個人的な経験範囲では、(元妻を除いては)婚活サイトで知り合った相手より、それ以外で知り合って付き合った人とのほうが、楽しく続けられてきたという感覚だ。

婚活サイト以外からのきっかけで、お互い結婚を意識した付き合いになっていたこともあるが、その付き合いのほうが、打算が少なかったからか色々と楽しかったように思える。

これは人によって、たまたまかもしれないし婚活サイトを否定するわけではなく、私自身、今でも登録したままだ。

婚活サイトに期待値は低いが、何の期待もないわけではない。

上記の出逢いは盛り上がったのに、それでも別れてしまったのは、その当時、私自身が自らの傷からの痛みが強い時期で振り回してしまった、というのが原因と考えられる。

心の痛みから逃れたくて行動力はあったけれど、それが行き過ぎてしまったことは、今でも申し訳ないと思い出すことがある。

アダルト・チルドレンになった要因は他者との関わりからだとしても、それを克服するのは自分自身である、ということを、つくづく知った気がする。

ラットレースに陥らないように、気をつけて考えたいものだ。

こちらのニュース記事では、「パートナー選びの基準は収入だけ」の人が、婚活マーケットをさまよう「膨大な数の」「難民化」とまで書かれているね。

(「」内は抜粋引用。引用元の外部サイトはコチラ

「難民」かぁ……。

 

 

・・・分かりやすく書くのって、難しいなぁ。。。

まだまだ進化させたいところだね。

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はくう

優しい性格の愛猫と、本と植物があちこちにある部屋で静かに暮らしております^^

大阪在住の40代・男性・バツイチ独身、本職は1999年より自営業(会社)です。
このブログは仕事は別の、私的な個人ブログです。

結構、キレイ好きですが、潔癖症というほどではありません^^;
「書く文章と、話ししている雰囲気が違う」と言われることがあります。
文章の雰囲気では、堅い?と思われやすい?みたいですね。

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